2017-09

酒蔵の末路

「米屋と酒屋」を読んだ方から報告が有りました。


もう数十年前の事ですが、
昔住んでいた家の数軒隣にMという酒屋がありました。
地元の有名な地主で広大な土地に大きな酒蔵が並んでいました。

酒屋の当主は寺や神社にかなりの寄進をしており、
坊さんも神主さんも頭があがらず、
選挙の際はこの当主の力添えがあれば必勝といわれていました。
態度が尊大で「ちょっとねぇ…」と影で言われるような存在でした。

その当主、犯罪に手を染めた男を杜氏見習いとして雇いました。
近所の人に「俺があの男を立ち直らせて立派な杜氏にする。
俺は誰の事も大事にするから、罪を犯した奴も見下さない。
偏見を持っちゃ駄目だ! 暖かい心で見守るのが大事なんだよ!」
と酒の席で上機嫌だったそうです。
「さすが○○さん、心広い!」と言われて満足そうだったとか。

その酒屋は、当時すでに年配だった杜氏の見習いとして
能登の酒蔵から筋のいい若者を住みこみで雇っていたそうなのですが、
話を聞いた能登の酒蔵から
「新しい見習いが来たのなら返してくれ、家の杜氏にする」と言われ
能登に帰してしまったそうです。

で、その犯罪男、ある日全ての酒蔵の中に泥を投げ込んで逃走w
暖かい心と言っていた当主、怒りまくり。その年仕込んだ酒は全滅。

その後、都会の大学に行った跡取り息子は地元に戻らず。
娘が酒屋を継いだけれど、年取った杜氏引退。
後を引き継ぐ杜氏がおらず、その後、酒が造れず。
酒蔵閉鎖。酒を売る小売店に転換。
今は代々の土地を切り売りしながら生活していて。
門は大きいけれど、中はスカスカだそうです。昔の栄華なし。

本当に「驕れる者は久しからず」…ですね。


例えば今からン十年前・・・もっと前なら戦中戦後。
そういう時代には金持ちが幅を利かせていました。
一般人は殆どが農民だった時代です。
たしか江戸時代には農民の人口割合は85%だったと思う。
そういう社会の中では農民以外のことをしていて
しかも、武士、学者、僧侶などでは無い場合は
商人が金を持ち、ついでに力を持っていたのでしょう。
豪農ってのも居たけど、あれは多分先祖が侍か何かですね。


農民の多くは小作人だったろうし、小作人ってのは
ハリウッド映画で言えば「白人大農場主の処でコキ使われる黒人奴隷」
みたいな位置に居たと思う。
そういう社会に生まれ育てば誰でも勘違いをします。
そういう社会なのに勘違いをしない人はそれだけで
抜きんでている人ですね。
滅多にいません。


変化は都会から起こるし
しかも首都圏から起こります。
田舎、日本の端の方にまで変化が及ぶのは時間が掛かります。
(大昔、北海道のお祖父ちゃんが私に五百円札を数枚くれたが
  関東ではとうの昔に無くなっていたものだったので
  驚いた)
都会は若者が集まるのでだから変化も早いのだと思う
田舎、地方では老人が勘違いをして力を持っているとまだ
思っているようです。

数年前に沖縄の宮古島に行った時、
平成の大合併で沖縄もだいぶ変わったが
その時、その土地のボスのような者達の
利権というか権力もかなり削がれたらしい。
そういう話をタクシーの運転手がしてくれました。

平成の大合併は、古き良き時代が終わった面、
由緒ある地名が消えた面があるが、その反面
勘違いをしていた地元のボス達から力を削いだ面も有り
功罪相半ばって処ですかね。
こういうのも「上」の計らいかもしれません。


さて没落酒蔵の話に戻りますが、たしか総理大臣をやっていた
人の中に酒蔵のオヤジが居ましたっけ。
酒蔵の主人は地元では金持ちで名士だから
選挙に出て財力で勝てたのでしょうが、これからはそうはいかなければ
いいですね。
とにかく昔のやり方をやっている老人どもにはサッサと死んで頂いて
新しい世にしたいものです。
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